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国産化技術の拡大と自社技術の開花 
1948~1970

既存事業の製品拡大 1948~1970 上部

既存事業の製品拡大 1948~1970

第2次世界大戦後、本社工場(蒲田)はほとんど全焼の状態、さらに戦時中の軍納入品の未入金や軍需補償の請求権は取り消され、当社は存続の危機に陥りました。1948年、「企業再建整備法」により、それまでの株式会社東京計器製作所を解散。新たに株式会社東京計器製造所、および長野県に移していた圧力計関連の事業を引き継ぐ株式会社長野計器製作所(現長野計器株式会社)の二つの新会社が発足、別会社としての歩みを始めることになりました。これ以降、東京計器は海外企業との技術提携を積極的に進め、復興から発展への道を邁進していきます。

1948~1970年当時の製品

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【PC】1948~1970年当時の製品 マップ
 
 
 
 
 
【SP】1948~1970年当時の製品 マップ
 
 
 
 
 
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    水資源管理に貢献する超音波流量計

    水資源管理に貢献する超音波流量計

    1964 (昭和39)年、世界初となる超音波流量計を世に送り出しました。配管の外側に超音波センサを取り付けるだけで流量計測が可能なため、設置に伴う断水や濁り水(赤水)の発生が無い、センサ部が直接水に触れないので衛生的などというメリットにより、全国の水道事業で急速に普及しました。現在も当社の超音波流量計は上下水道や農業用水などの最適な水管理に広く役立てられています。

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    航法計器総合指示装置

    航法計器総合指示装置

    当社は終戦後に一時期停止していた航空計器製造の再開後、いち早く米軍装備品の修理を手掛け、さらに国産化を図りました。この時期に開発・生産した国産旅客機YS-11には当社の航法計器総合指示装置(IIS)を搭載。IISは、航法に必要な方向、姿勢、無線誘導など、従来、個別の計器ごとに見ていた情報を一つの指示器に統合し、航空機の高速化に対応したほか、パイロットの負担を著しく軽減することができました。

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    超小型ジャイロコンパス

    超小型ジャイロコンパス

    1961(昭和36)年、従来機種に比べて極めて小型軽量のEs型ジャイロコンパスを開発しました。 それまで、北洋で操業する漁船などは、地磁気の変調で方位情報のズレが大きかったところ、このジャイロコンパスの登場により、航海の安全性や燃料の削減に大いに貢献。1963(昭和38年)には、船舶の安全航海に貢献したとして運輸大臣賞の栄誉を受けています。

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    見えない超音波でレール内部の傷を見える化

    見えない超音波でレール内部の傷を見える化

    1955(昭和30)年、超音波探傷器の開発を行った当社は、1962年に日本国有鉄道技術研究所(現(財)鉄道総合技術研究所)に、レール内部に発生した欠陥を走行しながら検出する超音波レール探傷車を納入しました。現在も鉄道保線市場向けにJR各社、民営鉄道各社に広く採用され、鉄道の安全運行に貢献しています。

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    産業機械向けに国産化を開始した油圧機器

    産業機械向けに国産化を開始した油圧機器

    1954年、船舶の舵機に使われていた油圧装置に着目した当社は、当時の油圧機器トップメーカーである米国Vickers社と製造販売契約を締結し、産業機械向け油圧機器の国産化を開始しました。当時、政府は機械工業の発展を後押しする施策を進めており、油圧機器の需要が急増。鉄鋼、造船、自動車、電気製品、建設機械などの産業分野に次々と導入され、日本の経済成長に貢献しました。

既存事業の製品拡大 1948~1970 下部

コラム:我が国初の、工場内設備へのカラーダイナミックスの採用

コラム:和田嘉衡Image

カラーダイナミックスとは、天井や壁などの作業環境を明るくして照明効果を高め、全体として作業者への心理的効果をよくすることを通じて、生産能率の増進、作業環境の快適化、事故・災害の防除の効果を追求するものです。当社は1950年秋、より安全な就労環境の実現を目的として、日本で最初にカラーダイナミックスを導入。走行クレーンをクリーム色に塗装するなど、機械、装置、電気系統、通路等を色分けし、作業能率を向上させるとともに、作業環境の改善および安全衛生管理の充実を図りました。翌年には、数か月の実験の後、機械工場の壁を淡緑色、天井を淡青色、機械本体を緑色とすることで落ち着いた現場を実現するなど、さらなる現場の安全と生産性の向上を追求しました。