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日本の近代化の先鋒 
創業~1940年代

草創期 1896~1917 上部

草創期 1896~1917

1896(明治29)年、当社は日本初の計器工場「和田計器製作所」として産声を上げました。当時輸入品に頼っていた船舶機器の国産化を目指し、圧力計を始めとして回転計、通信器、動力計、羅針儀、測深儀等の計器製造の研究を始めました。1901 年(明治34年)に海軍の指定工場となり、航海計器製造のパイオニアとしての基礎を固めていきます。1902年(明治35年)には東京計器製作所に改組、1911年(明治44年)には和田計器研究所を設立し、我が国初の計器専門の研究所として計器工業の発展に寄与しました。

1896~1917年当時の製品

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【PC】1896~1917年当時の製品
 
 
 
 
【SP】1896~1917年当時の製品
 
 
 
 
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    航空用磁気コンパス

    和田式圧力計

    1917 (大正6)年、当社は来るべき航空機の時代を予測して、航空用羅針儀(磁気コンパス)や傾斜計の製造にいちはやく着手しました。当時、磁気コンパスは航空機の方向を知る唯一かつ重要な航法装置でした。当社は、航海用磁気コンパスの開発で培った技術を基に極めて信頼性の高い製品を提供し、大正末期には毎年数百個を製造しました。

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    国産初の電気時計

    磁気羅針儀(磁気コンパス)

    1904(明治37)年、日本に電気が普及し始めた頃、当社は電気計器の研究を開始し、1913 (大正2)年に我が国初となる電気時計を開発しました。その精度は1昼夜で誤差1秒以内という当時としては非常に優れたものであり、新橋、東京、京都、門司、仙台などの主要駅をはじめ、東大安田講堂、新宿伊勢丹百貨店、その他多くの公共建築物にも取り付けられました。

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    「計器」の発祥となった和田式圧力計

    航空用磁気コンパス

    創業者の和田嘉衡が独自に国産化した圧力計は「和田式圧力計」と呼ばれ、舶用分野を中心に広く普及しました。圧力計の開発当時、Measuring Instrumentsに相当する日本語が無かったことから和田嘉衡が「計器」と創作し、その後一般名称化したことが「計器」の語源となったと言われています。当社は回転計、通信器、動力計、羅針儀、測深儀などの「計器」の国産化を次々と進め、日本の精密工業の発展に大きく寄与しました。

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    磁気羅針儀(磁気コンパス)

    電気時計を開発

    1901(明治34)年、当社は航海用磁気羅針儀の生産を開始し、舶用計器製造のパイオニアとして第一歩を踏み出しました。1905年の日露戦争(日本海海戦)で活躍した旗艦「三笠」にも当社の磁気羅針儀が搭載されていました。後に三笠を記念艦として保存することになった際、この磁気羅針儀は福岡県の宗像大社に奉納され、現在も保存展示されています。

1896~1917年当時の製品 下部、近代工業の幕開け  1917~1948 上部

コラム:創立者 和田嘉衡

コラム:和田嘉衡Image

東京計器の創業者、和田嘉衡(わだよしひら)は1861年(文久元年)に徳島県の農家の長男として生まれました。小学校の校長を経て1888年(明治21年)に上京。独学で機械工業の研究を進め、小規模な化学工場の経営も始めました。ある日、横浜からの帰途で汽車に乗り合わせた海軍士官と知り合い、「日本の発展のためには工業製品を輸入に依存するのではなく工業の国産化が不可欠である」との意見に感銘を受け意気投合。国のためになる工業製品を作りたいとの一念から全ての事業を売却し、新たに製造企業を興します。社名は和田が自ら考案した造語「計器」を使用して和田計器製作所としました。当時はMeasuring Instrumentsに対する日本語が無く、これに計器という文字をあてたもので、今では一般名称として広く使用されています。和田は「計器とは広義の意味において電気的、器械的、光学的に関するMeasuring Instrumentsにして我が国における最初の事業である」と定義づけています。​ ​

近代工業の幕開け 1917~1947

1917年(大正6年)、東京計器製作所を株式会社に改組、株式会社東京計器製作所を発足させ、機械的計器に加え電気的計器、光学的計器等の開発製造を加速させていきました(このうち、光学計器は日本光学工業株式会社(現株式会社ニコン)を設立後事業を移譲)。第一次世界大戦後の景気変動、関東大震災、その後の世界恐慌など、様々な苦難を乗り越えながら、当社は海外企業との技術提携を通じて優れた工業製品を次々と国産化していきます。

1917~1947年当時の製品

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    水平儀・定針儀

    水平儀、定針儀

    目覚ましい発展を遂げる日本の航空機の需要に応えるため、1931(昭和6)年に水平儀、1934(昭和9)年には定針儀などの航空計器を国産化しました。夜間や霧中などの状況でも機体の姿勢をパイロットに知らせる水平儀も、航空機の方位を指示する定針儀も、安全な飛行を確保するために欠くことのできない重要な航空計器でした。

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    精密機器メーカーが製造した圧力鍋

    精密機器メーカーが製造した圧力鍋

    1945(昭和20)年、太平洋戦争の空襲で本社工場は壊滅的な被害を受けました。本格的な生産開始までの期間、戦災を免れた生産機械を使用して鉛筆削りや圧力鍋などの日用製品の製造を開始。当時の圧力鍋は爆発事故が起きるなどの問題がありましたが、実用新案を取得した信頼性の高い当社の圧力鍋は好評を博し、「文化鍋」の商品名で、三越、松屋、松坂屋の有名百貨店で販売されました。

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    ジャイロコンパス

    ジャイロコンパス

    1918(大正7)年、当社は米国スペリー社と提携し、船舶用ジャイロコンパスの国内生産を開始しました。高速回転するコマの運動を利用するジャイロコンパスは、地磁気による偏差が無く高精度という特長を備え、磁気羅針儀に代わって、より精度の高い航海計器として普及していきました。以来、100年以上の長きに亘って当社のジャイロコンパスは進化を続け、現在も世界中の海で活躍しています。

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    火災探知機・消火器

    火災探知機・消火器

    この時代、人命や財産を奪う船舶の火災は、推進機関のディーゼル化に伴い、それまでの蒸気汽船で可能であった水蒸気消火が困難になっていました。当社は1926(大正15)年、米国ウォルター・キディ社と提携し、船舶用の火災探知器と消火装置の国産化に着手。船舶分野で培った消火設備のノウハウは現在のガス系消火設備に受け継がれており、工場施設やオフィスビル、美術館、博物館、立体駐車場などの防災に貢献しています。

近代工業の幕開け  1917~1948 下部

コラム:健康保険制度の認可第1号

コラム:健康保険制度の認可第1号Image

1922年(大正11年)、国は産業の健全な発達を図ることを目的とし、ドイツなどの制度を参考にして健康保険法を制定しました。当社は1926年に内務省の認可を受けて東京計器健康保険組合を設立。この認可は東京府で第1号、すなわち全国初の健康保険組合として「東1」という認可番号を取得しました。これに先駆け当社では1909年(明治42年)には相互扶助の精神に基づいて掖済会を創設し、従業員とその家族に対して冠婚葬祭費や医療費の給付も行うなど、政府の行う社会保障制度を先取りした運営を行っていました。この先見性と従業員に対する厚い待遇の念が健康保険制度の認可第1号に結びついています。