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東京計器の歴史 コラム

コンテンツ

ストーリーには記載していない、当社の事業や製品についてのこぼれ話を紹介しています。

 
 
創設者 和田嘉衡は「計器」の生みの親


和田嘉衡:1861~1945.3.25​
東京計器の創業者、和田嘉衡(わだよしひら)は1861年(文久元年)に徳島県の農家の長男として生まれる。小学校の校長を経て1888年(明治21年)に上京。独学で機械工業の研究を進め、小規模な化学工場の経営も始めた。ある日、横浜からの帰途で汽車に乗り合わせた海軍士官と知り合い、日本の発展のためには工業製品を輸入に依存するのではなく工業の国産化が不可欠であるとの意見に感銘を受け意気投合する。国のためになる工業製品を作りたいとの一念から一切の事業を売却し、新たに製造企業を興した。社名は和田が自ら考案した造語「計器」を使用して和田計器製作所とした。当時はMeasuring Instrumentsに対する日本語が無く、これに計器という文字をあてたもので、今では一般名称として広く使用されている。和田は「計器とは広義の意味において電気的、器械的、光学的に関するMeasuring Instrumentsにして我が国における最初の事業である」と定義づけている。​



 
 
日本初となる電気時計を開発


電気時計(当社歴史資料室所蔵)
1904年(明治37年)になると日本にもようやく電気が普及し始めた。これに伴い当社は電気計器の研究にいち早く着手し、電流計、電圧計、電力計、電気高温計などを世に送り出すことでこの分野で先鞭をつけた。こうした電気計測技術を基に、1913年(大正2年)に我が国初となる電気時計を開発し数種の特許を取得した。1昼夜で誤差1秒以内という当時としては非常に高い精度を持っていたことから、新橋、東京、京都、門司、仙台などの主要駅に採用されたほか、東大安田講堂、新宿伊勢丹百貨店、有楽町の旧朝日新聞本社、その他多くの公共建築物に取り付けられた。東京大学総合研究博物館小石川分室にも1924年(大正13年)に製造された東京計器製作所時代の電気時計(A型親時計)が展示されている。



 
 
精密機器メーカーが作った圧力鍋


圧力鍋(当社歴史資料室所蔵)
東京本社は太平洋戦争の東京大空襲で壊滅的被害を受けた。本格的な生産再開のまでの期間、TOPICO(Tokyo Precision Instrument Co., Ltd.)のブランドを立ち上げ、僅かに残った生産機械を使用して鉛筆削りや圧力鍋の製造を始めた。圧力鍋は当社のアルミ合金残材と圧力計のノウハウが応用できることもあり、「文化鍋」という商品名をつけて三越、松屋、松坂屋などの百貨店で販売した。当時の圧力鍋は数社が販売していたが暴発事故なども発生しており、精密機械メーカーが作った安全で信頼性の高い圧力鍋として当社の製品は好評を博した。こうして戦後の苦難を乗り越えながら自動車の回転計や電気子時計などの計器も生産し始め、戦後復興を果たしていった。



 
 
健康保険制度の認可第1号

 
1922年(大正11年)、国は産業の健全な発達を図ることを目的とし、ドイツなどの制度を参考にして健康保険法を制定した。当社は1926年に内務省の認可を受けて東京計器健康保険組合を設立した。この認可は東京府で第1号、すなわち全国初の健康保険組合として「東1」という認可番号を取得した。これに先駆け当社では1909年(明治42年)には相互扶助の精神に基づいて掖済会を創設し、従業員とその家族に対して冠婚葬祭費や医療費の給付も行うなど、政府の行う社会保障制度を先取りした運営を行っていた。この先見性と従業員に対する厚い待遇の念が健康保険制度の認可第1号に結びついた。



 
 
舶用計器メーカーの始祖となった磁気羅針儀


三笠艦に搭載された磁気羅針儀(宗像大社 神宝館所蔵)
※写真提供:宗像大社 神宝館
1901年(明治34年)、当社は航海用磁気羅針儀(磁気コンパス)の生産を開始し、舶用計器メーカーのパイオニアとして第一歩を踏み出した。1905年の日露戦争日本海海戦で活躍した旗艦「三笠」の司令塔内にも当社製の磁気羅針儀が使用されている。後に記念艦として三笠を保存して後世に残すことになった際、この磁気羅針儀は九州の宗像大社に奉納され、現在も宗像大社辺津宮の神宝館に保存展示されている。なお、現在では磁気コンパスに代わってジャイロコンパスが主流となっているが、万一の船内電源喪失のトラブルに備えるため、地磁気を利用した磁気コンパスは今でも数多くの船舶に搭載されている。



 
 
基幹技術を培ってきたジャイロコンパス


MK-14型ジャイロコンパス
(スペリー社製・当社歴史資料室所蔵)
1918年(大正7年)、当社はジャイロコンパスの国産化にいち早く着手し、大型艦艇や外航商船などに数多く 採用された。戦後は青函連絡船に初採用されたほか、1961年には漁船に搭載できる小型軽量のEsジャイロコンパスを独自開発した。磁気コンパスは地磁気の変調によって高緯度では誤差が大きくなるため北洋漁業では海難事故が多発していたが母船に よる方向探知機か勘に頼るしかなかったが、Esジャイロコンパスの登場で安全性が飛躍的に高まった。この功績が認められ1963年に運輸大臣賞を受賞している。また、1983年には他に類を見ない「懸吊線フロート式」によるジャイロコンパスを新開発し、内閣総理大臣賞を受賞した。舶用のジャイロコンパスで培った慣性センサ技術は、トンネル掘削用シールドマシンのナビゲーションにも応用されるなど東京計器を代表する基幹技術の1つとなっている。​



 
 
見えない超音波でレール内部の傷を見える化


現在の超音波レール探傷車(東武鉄道株式会社殿)
超音波探傷とは、被検材に超音波を入射し、その反射波(エコー)を解析することで内部欠陥の有無や大きさなどを検出する品質検査の一つ。鉄鋼構築物の溶接部や鋼材内部の様子をチェックすることで安全品質を守ることが目的である。東京計器では1955年(昭和30年)にスペリー式超音波探傷器の開発を行い、1962年には日本国有鉄道技術研究所(現(財)鉄道総合技術研究所)に、レール内部に発生した欠陥を走行しながら検出する超音波レール探傷車を納入した。超音波レール探傷車は鉄道保線市場向けにJR各社、民営鉄道各社に広く採用されて現在も鉄道の安全運行に貢献している。​



 
 
貴重な水資源の管理に貢献する超音波流量計


超音波流量計(当社歴史資料室所蔵)
1964年(昭和39)、当時の技術では実現不可能と言われていた超音波流量計の実用化に成功し、世界初となるUF型超音波流量計を世に送り出した。配管の外側に超音波センサを取り付けるだけで流量計測が可能なため、設置工事に伴う断水や濁り水(赤水)の発生が無い、センサが直接水に触れないので衛生的などというメリットがあることから全国の水道事業体で急速に普及した。この成功によって官需市場の需要を拡大し、東京計器の超音波流量計は上下水道や農業用水などの最適な水管理に広く役立てられている。